2010年1月21日木曜日

25回党大会、感動の連続

 1月13〜16日まで、日本共産党第25回大会が熱海市で開催され、のとや繁も代議員として参加させていただきました。
 昨年の総選挙は国民の意思によって政権を交代させました。その歴史的な時期に開かれた党大会であり、練り上げて決定した大会決議も全国の代議員の発言も感動の連続で、貴重な経験になりました。
 旭川からは、武藤孝司地区委員長と高橋諒多さんと3人で参加。写真右は高橋さん、しんぶん赤旗日曜版に載った自らの記事を手に持っています。
 会場までは毎日40分くらいの山登り、旅館の中も階段だらけで、しかも雑魚寝。日頃運動不足の私には苦行・荒行のような毎日でした。しかし、内容は感動の連続、まさに歴史的な瞬間に立ち会った気分です。 この大会に参加できたことに、心から感謝しております。


 大会決議の内容については日本共産党のHPを参照してください。私の感想を若干紹介したいと思います。
 私が、一番震えるほど感動したのは来賓挨拶でした。財界の本丸である経済同友会の終身幹事で、今は全国革新懇の代表世話人にもなっている品川正治さんのご挨拶です。
 品川さんは「このような激動の時期に第25回党大会を開かれることに敬服しております。今年86歳になりますが、ついにやってきたなと感じます。」と切り出しました。「行き過ぎた大企業依存、アメリカ依存、その根底には『反共』というものがありました。このことが、いま大きく変わり始め、反共がはっきり崩れていこうとしています」と述べ、「2010年代の初めに、どういう態度、姿勢をもっていくか、共産党は非常に大きな前途をここではっきりと確認していただきたい」、「反共は恐れるに及びません。これは国民がついてこない。そういう時代になりました」という、すばらしいご挨拶でした。
 私が特に感動したのは「自信をもって自分達の出番と思ってほしい。十分な論議をつくし、自分達の『立ち位置』をはっきり自覚して行動してほしい」という言葉でした。
 さすが経済界の大物、凄みがある。大きな声を出すでもなく、86歳にふさわしく、ゆっくりと落ち着いた話し方ですが、私には「立ち位置を自覚してさっさと行動せい」という恫喝にも聞こえました。
「自民党政権の支配の重石もとれて、反共も崩れて、大激動になっている。いまこそ共産党の出番だ、ぼやぼやしている場合ではない」と、背中を押されたというか、叱咤激励されたような気持ちになり、率直に言ってシビレました。
 もう一つ来賓あいさつを紹介すれば、全国農業協同組合中央会、いわゆるJA全中から初めて来賓が出席しました。当日は全中の理事会が開催中だったので茂木守会長が出席できないということで、冨士重夫専務理事が出席し会長のあいさつを代読しました。茂木会長は「再生産可能な価格保障と所得補償、国境措置の維持・強化、日米FTA反対、食料主権の確立、こうした方向はわれわれのめざす方向とまったく同じであり、心強い限りです」というメッセージを寄せられました。
 昨年のJA全中の総会で志位委員長が挨拶し、森林組合の大会でも挨拶しました。その後、わが党と農協や森林組合との交流、対話のなかで、「農家の気持ちが一番わかるのが共産党」という評価が広がっているという代議員の発言もありました。
 農協との懇談会の会場に行ってみると、「共産党との懇談会」の立派な看板がかかっていたという発言もありました。いまや誰の目もはばかることなく自由な交流が、いろいろの団体とできる時代になったと実感しているという発言が相次ぎました。
 代議員の発言もすばらしいものばかりでした。どの発言も国民が新しい政治への探求を本格的に始めている、情勢の前向きの劇的な変化がおきている状況が、生き生きと語られました。
 福岡県・北九州市の市議会議員の発言では、生活保護が受けられずに「おにぎり食べたい」と言って餓死した事件が起きた経験から、昨年の9月から街頭に出て、国民のSOSを受けとめる「夜回り相談」をしている、しかも相談者がいまは共産党に入党し、夜回り相談を手伝っているという報告がありました。ホームレスだった人は「共産党に助けられた。今度は自分達が困っている人をたすける番だ」と頑張っているとのことでした。
 
 熊本県・上天草市の代議員は、「前回の市議選は30票差で次点に泣いた。以前は、『宮下さんは良か人ばってん、共産党だけんなあ。無所属で出たらトップ当選ばい。無所属で出なっせ』とよく言われた。まだ共産党アレルギーがあった。それが今度の選挙では『共産党でないといかん』と言われるようになった。今回選挙では得票を3倍にしてトップ当選をかちとったと、情勢の劇的な変化を語りました。熊本県というのは、保守の地盤が強かったところですけれども、そこで「反共の壁」がガラガラと崩れている様子が語られました。
 
 これらの情勢の変化は、自然におこったのではありません。党と国民とのスクラムを組んでの闘いによって新しい情勢は開かれてきた。代議員の多くの発言で、そのことへの確信が語られ、そして闘いをつうじてたくましく成長する姿が語られました。
 もう一つの感想は、若い代議員の発言がめだっていたことがあります。「これからの党をになうのは自分たち」という意気込みでした。
 京都市の19歳の学生代議員、福島県の33歳の県常任委員、兵庫県の選挙区候補の37歳の代議員、山梨県の富士河口湖町(ふじかわぐちこまち)に移住して町議会の空白を克服した31歳の代議員、香川県・小豆島・土庄町(とのしょうちょう)に高松から移住して空白克服のために奮闘している31歳の同志、福井県の福井市議会議員の31歳の代議員、沖縄県の浦添市議会議員の28歳の代議員と、若い人たちが次々と、明るく、元気に闘いの展望を語りました。
 
 本当に感動の連続でとても語りつくせませんが、なんとしても2010年代を、党建設の面でも、歴史的前進を党史に刻む時代とするために全力をあげたいと、決意を固めて帰ってきました。当面する参議院選挙でも先頭にたって闘いたいと思います。
 また、中央委員会報告の中で圧巻だと思ったのは、志位委員長が日米関係を「平等かつ公正」な関係を打ち立ててこそ、米国は真の尊敬がえられると踏み込んだところです。一部要旨を紹介します。
 「米国内では到底許されないことが日本では横行している在日米軍の実態、ドイツと比較しても治外法権としかいいようのない日米地位協定による特権、そして日本国憲法へのあからさまな侮辱と改定要求――どれ一つとっても、『対等なパートナー』とはほど遠い従属的実態があることは、何人といえども否定できないのではないでしょうか。大統領がのべた「対等なパートナー」という言葉が真実のものであるならば、これらの異常な従属的関係は、すみやかにただされるべきではないか。この立場から、日米安保条約を廃棄し、それに代えて対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ。これがわが党綱領に明記した21世紀の日米関係のあるべき未来であります。
 私たちは、マルクスがリンカーン大統領再選にあたって送った祝辞のなかで、「偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地、そこから最初の人権宣言が発せられ、18世紀のヨーロッパの革命に最初の衝撃が与えられたほかならぬその土地」と呼んだ、アメリカの偉大な歴史に深い尊敬をもっています。そして、リンカーンが、翌年、マルクスにあてた礼状のなかで、合衆国はすべての国家にたいして「平等かつ厳格に公正」な関係をうちたてることによって、「世界中の尊敬」を求めるという立場を表明したことを、あらためて想起しています。
 米国は、すべての国ぐに、そしてわが国との間に、リンカーンがのべたように、「平等かつ厳格に公正」な関係を打ち立ててこそ、世界諸国民、そして日本国民から、ほんとうの尊敬をかちえることができることを、私は、強調したいと思います。
 日本共産党25回党大会決定は、まさに、外交問題の根幹の問題についても明快な道筋を示したものになっていると確信しました。これは本来、日本政府が解明すべき問題ではないでしょうか。
 圧巻でした。(能登谷繁)

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